こんにちは。国語が大事ドットコムを運営しているうえのあいです。
国語が大事ドットコムを見に来てくださってありがとうございます。
大学入学直後の2001年から、フリーランスの講師として大阪を中心に関西圏で大学受験のための国語を指導しています。
現在の出講先
高等進学塾、医進予備校MEDiC、ユニバーサルアカデミー、大阪薫英女学院高等学校に出講し、大学受験対策のための古文・漢文および小論文の授業を担当させていただいています。
わたしと国語
小さいころから本が大好き。
中学受験をしたのですが、一番安定していたのは国語の成績でした。
特に勉強なんてしていません。だって書いてあるやん?そんな風に完全に国語をナメてかかっていた私。
調子に乗っている奴は、必ず頭を打つのがこの世の常、私の国語黄金時代はやがて終焉を迎えます。
古典ができない!!
高校に入ると国語は現代文だけでなく、古文と漢文が始まるんですよね。
当然ですが、古典は勉強しないと読めません。模試を受けても、現代文はいいのに、古文と漢文が全然点数とれないから、偏差値は伸び悩む。
そして私は古典を憎み出しました。
チッ、古文漢文め。お前らさえなければ、国語の成績めっちゃいいのに。
何で今さら、死んだ言語を勉強せなあかんねん!
でも文句を言うばかりで、勉強は依然としてしないまま。もちろん成績は上がるはずもありません。やがて模試すら真面目に受けなくなってしまいました。
そんな私に転機が訪れたのは、高2の三者面談。
直前の定期考査は学年120人中、110番という成績でした。
絶対怒られるやろうな、大学なんて行けるはずがないんやろな。そんな風に思っていました。
でも担任の先生が言ってくれたのは、意外なことば。
担任の先生
え、どういうこと。私立やったら私何とかなるの?
そうなんです。私は高2になるまで、私立大学の文系学部の入試は文系科目だけでいいことすら知らなかったのです。
英語と国語と日本史だけで、大学行けるの?!?!
毎日遊び呆けながらも、このままでいいのかなってどこか心の中には常に不安がありました。
あまり勉強しろとうるさく言わなかった母にもさすがに怒られ、どこかで何とかしないといけないと思ってた。
英語と国語と日本史だけでいいのなら、わたし、大学に行けるかも。
私の大学受験スイッチが入った瞬間でした。
塾との出会い
こうしてすっかり受験に対して前向きになった私。受験教科は英語・国語・日本史です。
完全にカオスだった数学と理科を勉強しなくてよくなったのは本当に嬉しかったけど、問題は古文。
何から勉強して行ったらいいのかも分からず、お手上げでした。
お母さん、塾行きたい。
こうして、高2の秋。私はクラスの友達や、学校の先輩が通っていた塾に通い始めたのです。
高3で受験勉強に覚醒
塾は、学校とは全く違っていました。
先生も面白いし、テストの成績もガンガン貼り出される。学校が違う友達もたくさんできて、刺激だらけ。
高2まで、親に勉強しないと怒られていた私が、親に心配されるほど勉強するようになったのです。
英語や日本史は順調に成績を伸ばして行けたのですが、塾に入る前に一番不安を持っていた教科、古文。古文には本当に苦労しました。
誰が何言ってるのかが分からない。単語も1つの単語にいっぱい意味があるから、今どの意味なのかが分からない。出家できなくて泣くとか、全然共感できない。
それでも、たくさん問題を解いたり、先生に質問したりしながら勉強して行くうちに、少しずつ古文が好きになっていきました。
塾講師になる
こうして苦手だった古文を克服し、私は無事。第一志望校だった同志社大学法学部に進学します。
「うちでバイトせえへん?」
高進というのは、私が高校生の時に通っていた塾で、今も授業を担当させてもらっている高等進学塾のこと。
合格を報告しに行った際に、お世話になった先生たちに声をかけてもらいました。
「やってみたい!」
高校に入って勉強する意欲をすっかり失くし、底辺をさまよっていた私を変えてくれた場所、それが塾でした。
絶対に自分と同じような子はたくさんいるはずー。そんな確信がありました。
たった1年で人は変われるってことも身をもって証明することができたし、この経験を必要としてくれる受験生は絶対にいる。
そう思って自分が通っていた塾の学生講師の採用試験を受けることにしたのです。
私が希望した指導教科は受験時代一番の苦手科目であった古文。
なぜ私は古文を選択したのか。
それは古文が受験を通じて一番自分の成長が感じられた教科だったから。
苦手教科だったからこそ、勉強の仕方も工夫したし何よりできない子の気持ちが分かると思ったのです。
こうして数カ月の研修期間のあと、大学1回生の9月から教壇に立たせてもらうことになりました。
生徒とはほとんど年齢が変わらず、かわいい後輩がたくさんできたみたい。本当に毎日が楽しかった。
大学でもサークルに入ったり、ゼミも楽しかったけど、私が大学生活で一番夢中になったことは間違いなく、塾講師としてのアルバイトでした。
初めて教壇に立ってから10年。
塾ではない、予備校という世界も見てみたくて、大手予備校の採用試験を受け、駅や電車の中でよく広告を見かける大手予備校にも2013年度から出講させてもらいました。
担当講座数も徐々に増えていき、年間1000人以上の生徒に講義をした年も。
生徒はもちろん、大手予備校の第一線で働いておられる先生たちとの出会い。新しい世界に飛び込んで、大変なこともあったけど、毎日はとても充実していました。
大手予備校を辞めて
2018年の1月、私は5年間お世話になっていた大手予備校を辞めるという大きな決断をしました。
大手予備校の世界は結果がすべて。
授業のアンケートがいいと、夏期や冬期の講習を担当させてもらえる。
そこで締め切りを出すと、イベント講座の担当依頼が来る。
そんな風に結果が目に見えてあらわれるのが、おもしろくて嬉しくて、来る仕事来る仕事、全部引き受けていました。
「何かが違う」
目に見える形では順調にいっている仕事。でも私の心はどんどん疲れていきました。
たくさんの生徒を担当できるのは本当にうれしいけど、人数が多すぎて、顔と名前が覚えられない。
テキストを作ったり、カリキュラムを考えたりしなくていいのは楽だけど、まったく同じ授業を1週間に10回以上するのは私にとっては本当に苦痛なことだった。
今の自分は、自分のしたい仕事ができてない。そう思ったので、悩みに悩んで大手予備校を辞めることにしたのです。
やっぱり私の居場所は塾
週に1回、自分が担当しているクラスの生徒の顔と名前はちゃんと覚えていたかった。
もちろん私の努力不足もあるんだろうけど、大手予備校で私が担当させてもらっていた生徒の数は500人を超え、顔と名前を一致させることはできませんでした。
毎週自分の授業を受けてくれている子の顔と名前は絶対にちゃんと覚えていたい。
担当できる生徒の人数が少なくても、自分にはその方が合っていると思ったのです。
毎年多くの生徒が、志望校合格の夢を叶えて笑顔で卒業していきます。
生徒の合格は、この仕事をして得られる1番大きい喜び。
反面、一歩届かず本来行きたいところではなかった大学に進学したり、もう1年がんばる、という決断をする生徒もいます。
残念な結果が出てしまっても、私で力になれることがあったら、できるだけこれからのことを一緒に考えたい。
いい時も悪い時も、なるべく生徒から近い場所で、生徒が自分の将来のために役立つ勉強ができるようにサポートしたい。
そういう働き方ができる環境が塾であるということに気が付いたのです。
ブログにこめる思い
受験生にとって、国語は本当に勉強法の確立が難しい教科です。
何を、どんな風に勉強していけば成績が上がるのか、志望校合格のために効果的な勉強法は?
受験生の悩みは尽きません。
授業の時間だけでなく、生徒のみんながいつでも確認できて、質問したい時に、質問できる。そんな場所を作りたいと思って、2017年の3月当ブログ「国語が大事ドットコム」を始めました。
国語は本当に大事。
志望校に合格するためにも、合格したあとも、です。
受験生のみんなから寄せられる悩みや相談に、私も毎回悩みながら記事を書いたり、質問に答えたりしています。
生徒のみんなや、同僚の先生たちからの「記事読んだよ」の一言。
街で偶然会った卒業生に「ブログ今でも読んでます」と声をかけてくれたり、たまたま勉強方法を検索していた昔の生徒や、かつて出講していた塾で一緒にお仕事をしていた先生から連絡をもらったこともありました。
また、私が出講している塾や予備校の生徒ではない方から、ご質問・ご相談をいただいたことも。
ブログを始めていなければ、聞くことができなかった声だと思うと、本当にありがたくてうれしくて、そして不思議な気がします。
そして、これから
日々の授業や、ブログの問い合わせを通して痛感します。
どうすれば国語の成績をあげられるのか、悩んでいる受験生は本当に多いのだということを。
センター試験から共通テストに変わり、大学受験は今変革の時を迎えています。
国語も例外ではありません。
日々新しい情報と生徒の声に耳を傾けながら、これからも受験生のみんなに役に立つ国語を教えていこうと思っています。