講師インタビュー⑪沖吉悠希先生

講師インタビュー(数学科・沖吉先生)

冒頭でもお伝えしたように、今週は数学科・沖吉先生の講師インタビューです。

私と宮崎

宮崎県の出身の沖吉先生は現在、大阪大学医学部の6回生。大学進学を機に大阪に来るまでは、ずっと宮崎に住んでいたそうです。

初めての一人暮らしin大阪。宮崎とは全然違った?

沖吉先生

はい、ほんっとにもう全然違いました。色々カルチャーショックで…

へぇ!興味深い。例えばどんな?

沖吉先生

まず、電車の車両が10両ぐらいあるのにびっくりしました。宮崎では基本電車は1両なんで、駅を通過する電車がいつまでも終わらなくて怖かったです。

まぁ確かにすごいスピードで通過していくけど、いつまでも終わらなくて怖いと思ったことはないな。

沖吉先生

あと、大阪って杖ついてるおばあちゃんでも平気で信号無視するじゃないですか?

あれにはほんまにビックリしました。

確かに大阪人の交通マナーは全国的に見ても悪いことで有名です。

沖吉先生

宮崎ってどんなヤンキーでも絶対に信号守るんですよ。

そうなん?てか宮崎のヤンキーめっちゃえらいやん。逆にそっちにびっくりしたわ。

高校時代の沖吉先生in宮崎

大阪に進出

ところで何で阪大に進学しようと思ったん?宮崎やったら宮崎大もあるし、九大とかを目指す人が多いイメージがあるけど…。

沖吉先生

高2の時に親と旅行で大阪に来て、ついでに大学見学でもしとこうかってことになって阪大を見に行ったんですけど、モノレールがカッコよすぎて!

え、モノレール?モノレールってこれ?


沖吉先生

そうです。こんなん宮崎にないんですよ。これに乗って学校行きたいなーって思って。

そ、そんなすごいものなん、モノレールって。たぶん大阪を代表するものではないよなぁ。

モノレールに乗って阪大に行きたいのは分かったとして、医学部に進学しようと思ったのは何でなの?

沖吉先生

あ、それはですね、小学生の時にコードブルーを見て…

山Pの?

沖吉先生

そうです。

それでまさか…

沖吉先生

ドクターヘリかっこいいな、って。

なんか嗜好が一貫しているね(笑)。

しかし、コードブルーの威力ってすごいんやな。今までにコードブルーを見て医者になりたいと思ったという生徒を何人も知っていますが、ここにもまた一人。

高進との出会い

こうしてコードブルーとモノレールをモチベーションに大阪大学医学部医学科に現役合格した沖吉先生。

昔、化学科で講師をしていた町山先生が部活(軽音部)の先輩だったというつながりで、高進で講師として働くことになったそうです。

沖吉先生

きっかけは町山さんなんですけど、実は両親が教師なんです。それで医者じゃなかったら教師になりたいって思ってたので、塾で先生できるっていうのは自分的にはアツいなって。

へぇ、ご両親そうやったんや!じゃあご両親からアドバイスをもらったりもした?

沖吉先生

はい、自分の授業している動画を見せたことがあって、母親はけっこう褒めてくれたんですけど、父親からはかなり具体的な指導が入りました(笑)。

へぇ、すごい!どんなアドバイスをもらったのかめっちゃ気になる。

沖吉先生

その時、僕がしゃべりながら手元の板書用メモを見てたみたいなんですけど、もっと生徒の顔見て話さんとあかんって。

それはほんまにめっちゃ重要!!

授業中の目線ってほんまに無自覚なんよね。さすがお父さん、経験に基づいた素晴らしいアドバイス。

そう言えば沖吉くん自身は高校の時に塾は通ってたん?

沖吉先生

はい、通ってたんですけど学校の補習がわりとしっかりしてて、それがメインって感じでしたね。

そしたら高進ってそれこそカルチャーショックやったんちゃう?たいがい変な塾やで。

沖吉先生

本当にびっくりしました。こんな風に分野を体系立てて教えるんやって。自分はそんな風に教わったことがなかったんで。

沖吉先生

自分もこんな風に習ってみたかったですね。僕いま宮崎で授業したらすごい人気講師になれると思います(笑)。

受験生時代の思い出

ところで沖吉くんは受験生の時はどんな感じやったん?けっこう成績には余裕があったの?

沖吉先生

それが今思えば全然余裕はなくて、むしろヤバかったと思うんですけど、全然落ちる気はしてなかったです。

すごい沖吉くんらしい(笑)。で、そのまま受かっちゃった?

沖吉先生

それがですね、センターは9割超えてまぁまぁいい感じやったんですけど、二次試験が全然できなかったんですよ。

沖吉先生

絶対落ちたわって思って、ショックすぎて試験会場から帰る時に乗るバスを間違えてしまいました。

そうやったんや!それは大変やったなぁ。一人で受けに来てたん?

沖吉先生

母親が付いて来てくれてたんですけど、ホテルに何とか帰って、ごめん、落ちたって母親に言って。

結果合格してたからよかったとは言え、その時の気持ちを想像すると胸が痛むわ。とにかくそういう絶望的な手ごたえやったのね。

沖吉先生

はい、でも母親が「大丈夫、がんばってたのは知ってるから。もしダメやったとしても、また来年がんばればいい」って言ってくれて。

沖吉先生

今でも受験って言ったらそのことを思い出すくらい、忘れられない出来事ですね。

聞いてる私が涙しそうになってしまった、本当に心温まるエピソード。

本当に素敵なお父さんとお母さんだね。

 

それから受験生のみんな!入試の結果を自分の手ごたえだけで判断したらあかんで。バスを乗り間違えるほど手ごたえの悪かった沖吉先生も、結果的には合格しているのです。

何か一つの教科が思ったようにできなかった時、「あぁ終わった」って絶望して次の科目まで引きずっちゃう人がいるんだけど、入試は相対評価。自分ができなかったとしても、周りもできていなければ大した問題ではありません。

センター試験もそうだけど、特に二次試験はそうよ。東大とか京大とか2日間にわたって試験が行われる大学を受験する人は、そのことを肝に銘じておいてね。

将来は子供の命を救う小児科医に

さて現在6回生の沖吉先生。卒業後の進路のようなものはもう決まっているの?

沖吉先生

今のところは小児科に進みたいなって思っています。

めっちゃ合ってる!沖吉くん優しいから、子供に好かれそうやし。小児科を目指すことになったきっかけは?

沖吉先生

実習で小児科を回ったんですけど、僕が研修させてもらったところってかなり重篤な症状の子がいる病棟だったんです。それこそ心臓移植を待っているような。

沖吉先生

でもみんなすっごい明るいんですよ。そんな子たち見て、絶対に元気にしてあげんとって思って。

すごく沖吉くんらしいね。

じゃあ将来は心臓移植とかできるお医者さんを目指してるってこと?

沖吉先生

それは心臓外科の領域になるんです。

沖吉先生

僕は、どっちかっていうと心臓移植手術をちゃんと受けられるように体調とか症状を管理するっていう形で携わりたいと思っています。

そうか、別にみんながみんな心臓移植が必要ってわけでもないもんね。

沖吉先生

そうですね、ほかにも色々大変な病気がありますからね。

沖吉先生

ただ小児科の中でも特定の専門分野を持っている先生も多いんで、僕もいずれはそうなりたいとは思うんですけど、そこはこれから決めて行こうと思っています。

 

誰に聞いても、みんな沖吉先生は優しいと言います。もちろん私もそう思う。

この講師インタビューのバトンを沖吉先生に渡してくれた藤川先生も、「沖吉さんは本当に本当に優しいんです」って力説してた。

沖吉先生のやさしさは、単に波風を立てない、とかそういう表面的なことではなくて、人間として根っこの部分が愛情にあふれてるんよね。

今回のインタビューで、ご両親のお話や、思い描く将来像のお話を聞かせてもらって、そのことが非常によく分かりました。

 

高進に通っている生徒のみんなは医学部を目指している子が多いと思うので、最後に沖吉先生からのメッセージを紹介します。

僕は小児科を目指して日々実習や勉強に励んでいます。

病院で出会った子供たちの力になりたい、という思いが今のモチベーションになっています。

正直超大変やけど、でも憧れの将来像に近づけていると思うと俄然勉強にやる気が溢れてきます。
医療に携わる仕事はかけがえのないものです。実際に目の前にいる人の命や健康や人生までを支えられる仕事は他にありません。誰にでも出来ることじゃないからこそ、君たちが目指す価値はあると思います。
何となく医学部、でも大丈夫。「人を助けたい」という気持ちはゆっくりと形になっていくはずです。
医学部を目指す学生たち、同じ受験生として一緒に残りの時間を駆け抜けていこう!!

10月23日の沖吉先生の誕生日をみんなでお祝いした時の写真

 

さて、気になる次回のインタビューは…

沖吉先生

大学の後輩でもある金川にお願いしたいと思います。

というわけで、次は物理化の金川先生です!

お楽しみに~。

沖吉先生、ありがとうございました~!